《校長室だよりから》枕崎空襲

公開日 2022年07月30日(Sat)

1945(昭和20)年7月29日朝,枕崎の上空に数十機の敵機が来襲し,機銃掃射と無数の焼夷弾がばらまかれました。枕崎市街地は火に包まれ,死者38名,市街地の9割が焦土と化しました。
この年は5月に沖縄での地上戦があり,約20万人が亡くなりました。また6月17日に鹿児島市が空襲を受けるなど,鹿児島県内各地で空襲が激化していました。そして広島への原爆(8月6日),長崎への原爆(8月9日),終戦(8月15日)となったのです。
もし戦争が長引いていれば,11月には南部九州への上陸作戦が行われる計画だったようです。戦争がもたらす災難と悲しみは計り知れません。
枕崎市は7月29日をはさんだ週間を「平和週間」としています。空襲が始まった7月29日午前7時40分にはサイレンを鳴らすそうです。

片平山の慰霊塔

片平山公園(南溟館横)にある慰霊塔

枕崎市内や南薩には,戦争の記憶をとどめる戦跡が数多くあります。